センチュリーシネマで「ゼロの未来」を観る。ラストシーンは「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」を思い出した。あっちは他人がいる世界、こっちは他人がいない世界。
近未来の管理社会、孤独な天才コンピューター技師のコーへン(クリストフ・ヴァルツ)は解明されていない数式「ゼロの定理」に挑み、人生の目的とは何かを知るため、ある人物から電話がかかってくるのを待っていた。ある日、パーティーで出会った魅力的な女性ベインスリー(メラニー・ティエリー)との恋、そして会社の社長の息子で自分と同じく天才的なコンピューターの使い手であるボブ(ルーカス・ヘッジズ)との交流を通じて、コーヘンは生きる意味について知っていく。
オープニングでドカーンと魅せる、テリー・ギリアムらしい世界観。すごくうるさい、だけど住人はそんな環境に無関心。広告も、あんなふうになったりしてね。あんなところまで人がいなくなるのかと思ったよ。
あと、遊園地でコーヘンとボブが一緒にいるシーンの後ろに映った標識、ね。結局何もやっちゃいけないってことでしょ? これも、今の風潮を巧みに汲み取った風刺が効いている。
そういったものが表している、とボクが感じたのは、個人で自由に発信できる時代の未来形。みんながつながり、セキュリティという名目で行われる、監視される社会。物理的に近くにいなくてもつながっているのは、愛する人同士では快楽ではあるかもしれないけど、そうでない人とは苦痛でしかない。そして、全てを失った彼が望んだのは、誰とも交流のない、ゼロの世界だった。
極端から極端に向かっているけど、警鐘を鳴らしているものであることは間違いない。さて、この先、社会はより人と人とのつながりを求めていくのか、その揺り戻しで自分の内面を見つめていく、ある意味引きこもりのようになっていくのか、どっちに向かっていくんだろう。
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